第1章 6.法律の目的
2020年09月23日 2022年07月22日
6.法律の目的
次に、「法律の目的」についてですが、前記のとおり、それは極論すれば人々の行動に〝タガをはめる〟ものです(尤も、社会福祉的なものは逆に国(行政府)にタガをはめるものだから別です)。
〝烏合の衆〟を野放しにしておくと、社会として〝まとまり〟がつきませんから彼らを〝統制〟しなければなりませんし、彼らの勝手な振舞いを抑止しなければならない訳です。
その意味で「法律」の誕生というものには根底に〝性悪説〟があるのでしょうね。
そもそも、ヒトの内面(性=サガ)の根本は善なのか悪なのか・・・良く分からないです。
勿論、性悪説と相対するのは“性善説”な訳ですが、どうやら全部あるいは少し譲って過半数の人々が〝性善〟であれば、法律などは不要となるのかもしれません。
しかし、ずうっと以前から、また、殆どの国(地域)で〝法律〟というものがあるのですから、歴史的評価としてはおそらく、「性悪説の勝ち!」ということだと思います。「オレ(私)は〝性善〟だ(だわよ)!」という紳士淑女の方々も大勢いらっしゃるでしょうけど、ここは一般論を述べているだけですから、お気になさらないで下さい。
性悪説が〝正しい〟とすると、死刑廃止論者は、人間の本質を知らない〝世間知らず〟、いや、〝人間知らず〟の輩と言わざるを得ないかもしれません!
なぜなら、人の命は必ずしもそれ程〝気高い〟ものではない可能性があるからです。
そういうことに思いを馳せると、昨今の「日弁連」の執行部はだからアキマヘン! 現在の全国の弁護士数は約四万人ですが、平成二八年一〇月に開催された日弁連の全国大会でなされた「死刑廃止賛成か反対か」の決議においては四万人のうちのわずか二%足らず(おそらくその中には委任状提出組も含まれているかも)の賛成で死刑廃止が日弁連全体の意見だという〝決議〟がなされました。
そのようなわずかな賛成数であったにも拘わらず、日弁連はそれがいかにも弁護士会全体が死刑廃止論を支持しているかのように喧伝するんですから〝オカシイ〟です!
たったそれだけの実数でそういうアナウンスができる、ということはひょっとしたら、それは立派な「統計学上の裏付け」があって、その応用の結果、決議に参加しなかった残りの弁護士の半分が〝廃止〟に賛成だ、とみなしている可能性がないではありませんが、それは無茶というものです。
弁護士会全体としての〝大事な〟〝所信表明〟なのですから〝統計学〟はやめて下さい! 最低全体数の三分の一以上の賛成が必要ではないか、と私自身は勝手に思います。むしろ、それが良識だと思います。
果たして、「日弁連」は終身刑がない我が国において死刑を廃止することにより、受刑者を更生させる自信があるのだろうか。
参考の為申し上げると、終身刑は文字どおり、〝終身(一生涯)〟、受刑者が刑務所生活を送るものです。
これは日本にはない制度です。日本にあるのはせいぜい〝無期刑〟ですが、これは受刑一〇年を経過すると、仮出獄できるということがあり得ます。
だから、〝極悪人〟を更生させることに自信がなければ、やはり、死刑は存置させるべきは当然なのです。
そんなこと、できないくせにいい加減なことを言われても迷惑至極です。無責任です!
無垢な人間は平等であるべきはむしろ当然かもしれませんが、いわゆる極悪な所業を為した人間の命を何が何でも保全してやらなければならない、という考えは〝精神的片輪〟であるというしかありません。
そういう意見の持ち主は、却って被害者の人命を軽んずるものですから、バランス感覚の欠落した輩というしかありません。「クワバラ、クワバラ!」
・・・つづく