第2章 2.(2)大戦の様相

2022年07月29日  2022年10月20日

第2章 わが国の最近の立法における立ち位置

2.米国の根本

(2)大戦の様相

太平洋戦争時に米国はB29爆撃機八〇〇機前後を日本上空に飛来させ、日本の都市部のみならずそれ以外の地域にも、焼夷弾というものを無数に落とし、日本国土を火の海にしたことがありました。

これらにより、日本の内地にいた死者は何十万人にも上ったと言われています。

これは、当時でも国際法違反だそうです。非戦闘員を殺害することは良くないとされているからです。

即ち、国際法の一つである戦時国際法(ハーグ陸戦法規、ジュネーブ条約など)によれば、軍事目標以外(降伏者、負傷者、民間人等)への攻撃禁止、軍事的必要性を超える無差別な破壊・殺戮が禁止されていました。

それのみか、終戦直前の八月六日と九日に広島、長崎に原子爆弾を落とし、これまた何十万人もの生命を一瞬にして奪いました。

広島の一発でも大きな破壊力が実証されたのに、更に長崎に二発目を落とすなんて、これらの爆弾投下はやはり〝アメリカの国威発揚の為の実験〟だったというしかないですね。

その間に「三日間しか」置いていないのも〝実験的〟です。

「広島」だけでも日本は降伏していたでしょう。

むしろ、米国は「原爆を落すまで日本に降伏させるな」、という方針だったとも聞いています。

それは、米国の対ソ連対策だったという話も有名です。

ロシアに米国の〝力〟を見せつけなければならなかったのだそうです。

B29と原爆と共通するところは、共に地上からは反撃できない、かつ、被害者は非武装国民だった、ということだと思います。

正に一方的な〝殺戮〟だった訳です。およそ日本の武士道とは相容れません。

武士道の鏡とされる佐賀藩の山本常朝が認めたとされる「葉隠れ」の〝潔さ〟と全く異質なものですね。

そのような国に人権、民主主義を標榜する資格はないと思います。

今また、化学兵器を使用したということで、米国はシリアを武力攻撃しました。

デタラメです。なぜ爆弾攻撃は良くて、化学兵器は駄目なんでしょうか。

米国の武器産業が困るから(?)ここでも出鱈目です。

もう、阿保らしゅうて何とも言えませんね。

それはさておき、右の悲惨な攻撃を受けたという事実にも拘わらず、戦後日本はアメリカが大好きになりました。

しかし、それが実のところ「先の大戦は日本が悪かったからだ!」という真の〝反省〟に起因するものだったとしたら止むを得ないことだと思います。

しかし、そうでなく、米国の〝圧力〟により日本が戦争に〝追い込まれた〟ということであったのであれば、戦後の日本国民は何とお目出たいことか!

所詮、単に「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのが世の東西を問わない〝公理〟なのであれば我が国の屈服は実に残念なことです。

おまけに米国は日本敗戦直後の〝東京裁判〟という茶番劇を主導した国です。「勝者が敗者を裁く」ということ自体、今や、大方の皆さんがおかしいと認識していることですよね。

勝者が「実は私が悪かったんですよ」と言う訳ないんですから、また、戦争は関係国がそれぞれの〝国益〟を守る為にやるものであり、実はそこに正も邪もないのですから、日本の〝戦犯〟を裁くというのは〝茶番〟です。

そもそも、当時の天皇と軍部のどちらに〝戦争責任〟があるか、と言っても特に〝緊急的〟であれば、指揮命令系統なんて判別しようにないようにも思えます。

同じ言葉だって発する方と受ける方で一八〇度違うことは平時だってあり得ますから。

そのことを考えれば、尚更、「東京裁判」は茶番でしたね。

実は、私自身、弁護士でありながら、「法律ひいては裁判とは何ぞや?」と日々悩んでいるところです。

〝言わずもがな〟、ですが、霞が関などの裁判所で私共が日々奮闘している〝東京裁判〟と右の終戦直後の〝東京裁判〟とは全く別物です!

戦争において当事国が相手国の兵士を殺害する、というのなら、それはいわば〝コトの成り行き〟ですからしょうがないという部分がありますが、〝裁判〟という御為ごかしの方便を使っていかにも〝我々が正しかった〟と戦勝国が喧伝するのは狡る過ぎます。

原爆を落としたことを事後的に正当化する為にも、東京裁判をやらねばならなかっただけですね、きっと。

ナチス・ドイツに対する関係でも同様に〝ニュールンベルク裁判〟というのがあったそうですが、浅学非才の私は、そのことをずうっと後の平成二五年ころになってから知りました。

これは何かしら報道に日本の戦争責任をクローズ・アップする為の作為的なものがあったのでしょうか。

即ち、東京裁判にだけスポットを当て、世界に日本だけを悪く見せようという目論見が報道機関にあったのか(?) それともニュールンベルク裁判のことは私が見落としていただけなのでしょうか(忘れていたのかもしれません)。

いずれにしても、〝勝者の論理〟は無茶苦茶で容易には納得しがたいと思います。そもそも戦争に「良い悪い」がある訳がありません。

前記のとおり、所詮、戦争は〝利権争い〟に決まっているんです。

 

・・・つづく