第4章 4.理屈でない道徳・美意識

2023年01月18日  2023年01月18日

第4章 さてさて〝道徳〟とは?

 

4.理屈でない道徳・美意識

 

大相撲において、技(?)の一つに〝張り手〟というのがあります。〝猫騙し〟というのもあります。これらの技を大横綱と呼ばれるような人がやるのはいかがなものか、と思います。

「これもルールに従ってやっているのだから全く問題ない」という相撲ファン・解脱者もいます。

私はこれにも異を唱えたい。そのようなセコイ技の擁護論者は、正に金融取引において「法律に反しない限り何をやっても良いのだ」という考え方と全く同じであり、そこには美意識もないし、道徳というものを軽んずる考え方です(経済活動にだって美意識があったって良いんじゃないですか)。

 

※ そうそう、私が申し上げたいのは〝美意識〟なのです。

また、高校野球の世界でも、後に巨人軍の有力選手となった選手が対戦相手のチームから五連続四球で敬遠されたということがありました。

確かに「敬遠」ということがルール上認められている訳ですが、一人の選手に五回連続敬遠というのはいかがなものか。決して美しくありません。

 

法律さえ守れば良いではないか、というふうに考えるのが何やら進歩的だとでも言いたげですね。

大体、人類は〝進歩しない〟ものなのだから(前述)、「人間として進歩的」「あの人は進歩的な人間だ」とかいう言葉は使わない方が良いかもしれません。

むしろ、そういうレッテル貼りは無責任かもしれないのです。

尤も、そういう発言者は「人類は進歩すべきだ」と、啓蒙的な見地からモノ申されているのかもしれませんが、私としては、そういう方はそうおっしゃること自体で自己陶酔しておられるのではないかという感が否めません。

 

何やら、七面倒臭いことを言っているようですが、私はここでは単に社会生活を送る上で〝セコイ〟ことだけはしたくない、ということを言いたいのです。

こんな了見だと、増々、金儲けできない〝売れない弁護士〟で終わりそうですが、「そのうち何とかな~るだっ、ろう~♪!」(「失礼しましたッ!」)

 

・・・お終い